【史上最悪の地震】関東大震災 被害者10万人、過去の地震から学べる教訓とは
地球防衛軍だいすけです。
過去の地震の中で、記録に残ってる中で1番大きな地震は正確な数字で出てるのは、東日本大震災です。(M9)
しかし、1番死者・行方不明者の数が多かったのは、別の地震で、
1923年の関東大震災です。
2009年の東日本大震災での死者・行方不明者の数は、22,199人
1923年の関東地震は、105,385人です。
なんでこんなに被害が大きくなったのか。
調べてみました。
1923年当時と今では状況は違うから参考にならないのでは?
最初僕に、浮かんだ疑問はこの通りだったんですが、違いもありますが、
- 通信手段は機能しなくなる可能性があります。
- 津波被害は現在きたとしたら、現在にも通じる脅威です。
- 移動手段も徒歩優先なので移動距離はそこまで変化は無いと思います。
現在と違うところ
- 道路が当時舗装が行き届いていない
- 馬車がメインで車はまだまばらでした
- 建物の殆どが木造でした。
この違いがあります。
ではこれらを、踏まえて。1923年の関東大震災とはどんな災害だったのか。
強風による火災旋風
震災のあった9月1日は午前中から昼過ぎまで南風、夕方から夜まで西風、夜には北風、次の日2日から南風と、天候が不安定で火災が広がりました。
地震で出火した場所が134ヶ所 消し止めた火災が57ヶ所、回り込めなかった77ヶ所が、逃げ遅れた人達を包囲するように火の手が回ました。
火災の被害者が52,178名。
こんなにも火災の被害が多くなってしまったのには、逃げ遅れた人が多かったのにも原因があるんです。
正常性バイアス、多数派同調バイアス
人間の脳には「鈍感になる」という機能が付いています。
例として2003年「韓国地下鉄放火事件」
で、煙が立ち込める電車の車内で10名前後の人が椅子に座ったまま押し黙っているという不思議な写真があります。
これは目の前で起こっている突然の出来事に処理が間に合わず、「正常性バイアス」が働き鈍感になり、「多数派同調バイアス」で乗客同士がけん制し合ってしまった結果、こうなったのであろうと思う写真です。
関東大震災でも、記録映像の中に商店街の端の方の建物から煙が上がっているのを、商店街の中から避難する人達がその様子を見ている映像があります。
カメラが当時珍しいのか、カメラの方をみて笑いかけている子供などもいて、逃げ遅れた原因は、この「正常性バイアス」と「多数派同調バイアス」によって逃げ遅れたのではないでしょうか。
逃げ遅れない為に出来る事、率先避難者の重要性。釜石の奇跡。
岩手県釜石市の釜石中学校の避難行動はとても有名で、防災教育に非常に熱心に教えておられた片田敏孝 (東京大学大学院情報学環特任教授)の文章の冒頭引用させていただくと
私は、岩手県釜石市の小中学校で先生方とともに防災教育に携わって8年になる。「どんな津波が襲ってきてもできることがある。それは逃げることだ」と教えてきた。特に中学生には「君たちは守られる側ではなく、守る側だ。自分より弱い立場にある小学生や高齢者を連れて逃げるんだ」と話していた。今回の震災では、多くの中学生が教えを実践してくれた。
とある通り、地震発生後、隣接する小学校では逃げるかどうか迷っていたそうです。
そこに中学生が校舎から出てきて「津波が来るぞ」と叫んでいたので、一緒に逃げた。
小・中学性の生存率が99.8%
病気で学校を休んでいた子。家にいて地震発生直後家の裏の高齢者を助けに行ったにもかかわらず、地震の第2波で倒壊した家屋の下敷きになってしまった子。5名の命は惜しくも亡くなってしまいましたが、99.8%生存率は奇跡と呼ばれ、大きな反響を呼んでいました。
防災教育に欠かせないことは3つ
- 想定にとらわれるな。
- その状況下で最善を尽くせ
- 率先避難者たれ
この3つです。この3つを肝に銘じることが私たちがもし、震災に見舞われた時に生存する方法だと思います。
想定にとらわれずどんなに離れてても避難する。状況下で最善を尽くす。率先して避難する。周りを巻き込む。
本当に重要な事で、これほど実績の出ている避難方法はありません。
この3つです。この3つ。
本当に大切。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
皆様のお役に立てたらと思います。