【富士山噴火】過去の南海トラフでは富士山が噴火していた!?
地球防衛軍だいすけです。
1707年、宝永地震という地震があり、この地震は、今政府も含め警戒している南海トラフ地震なのです。
宝永地震(南海トラフ地震)
1707年10月28日 Mw8.7-9.3 和歌山県串本沖で発生し、関西全域から北は北陸、南は九州まで揺れが起こりました。
文献から見る震度7 静岡県、愛知県東部、大阪南部、高知県土佐清水市
万変記という土佐国城下で起こった災害を記録したものでは、
半時ばかり大ゆりありて、暫止る、此間に男女氣を失ふもの數しらず、又暫くしてゆり出し、やみてはゆる、幾度といふ限なし、
と書いてあり、一度で強く揺れ、何度も何度も余震が来たことを示しています。
そして約1時間後、津波が来ます。
間もなく跡より大浪うち入り、御城下廻り、堤不殘打こえ押切、大潮入込み、西は小高坂井口、北は萬ゝ久萬、泰泉寺、薊野、一宮、布師田、東は介良、大津の山の根まで、一面の海となる、
津波
津波は紀伊半島から鹿児島種子島、房総半島、伊豆、八丈島まで、広い範囲で津波が起こり、
震源に地下かかった紀伊半島5-17m瀬戸内海や大阪湾にも入り込み5-7mの津波が起こりました。
伊豆、下田では857軒が流失
被害全容
農業の田畑も30万石がなくなり、漁業の船も損壊や流失で3000隻なくなります。
潰家5.9万 流失家1.8万 と
かなり大きな被害が起こってる49日後、富士山が噴火します。
宝永大噴火
12月3日頃から山で地響きが始まり、前日の12月15日には富士山山麓一帯で震度4から5と比較的強い地震が数十回起こりました。
16日10時ごろ、富士山、南東側の斜面から白い雲のようなものが吹き上がり急激に大きくなっていく、
その後、高温の軽石が降下し、家屋を焼き尽くし田畑を埋めてしまう。
夕暮れには噴煙の中に火柱が見え、火山雷による稲妻が空を飛び交うのが目撃されています。
火山噴火爆発指数は7段階中5。100km先まで火山灰が降り注ぎ、江戸の田畑も灰に包まれました。
被害がひどかったのが御厨地方、現在の御殿場市の周辺で田畑は火山灰に覆われ、用水路の水も止まってしまった為に、深刻な飢餓状態へ。
当時の小田原藩は、事態を収拾に奔走したが、藩レベルで収拾がつかず一時、幕府の預かりとなり、
火山灰の影響によりその後90年。農作物は取れませんでした。
しかし。皮肉にも1708年富士山の関心が高まり、須走村には富士観光の客が殺到し、農業収入に頼れなくなった為、農民も含めて大規模な客引きが過熱したそうです。(強い。。)
現在に通ずるまとめ
大きな地震のあとは、もう一度別の箇所での地震や、噴火活動が起こりやすく、注意が必要です。
特に南海トラフ地震は、必ずと言っていいほど7クラスがあったあと、
もう一度地震が起こったり、火山が噴火したりしています。
調整地震なんて呼ばれ方がするほど起こりやすい事なので、ご自身の地域じゃなかったとしてもあるかもしれないと考える事が大切になってきます。
最後まで読んで頂きありがとうございました。
皆様のお役に立てればと思います。